創設者の言葉

菊武学園60年余の歩み

  学園長 高木 武彦

高木武彦学園長  私は今年在職60年となり、11月15日には創立記念を迎えます。 83歳になる現在まで、長く学校教育・運営に長く携わってきました。 愛知県の他の私立学校法人には同年代の理事長さんはほとんどいません。 初代オーナーは私1人だけになりました。

 母は、私が18歳の時、病気のため42歳で亡くなりました。 姉1人、私1人を残し、母は心配していたようです。昭和18年7月25日に亡くなってから、 私は戦争を挟んで5年後の昭和23年に菊武タイピスト養成所を立ち上げました。 菊武学園の名前の由来は母「菊子」の「菊」と私「武彦」の「武」を取ったものです。 花の名前とよく間違われます。私は今でも亡き母のかばん持ちのつもりでいます。

 私学教育に必要なことは、先生や事務職員がいかに「学生・生徒・園児達に愛情を与える」か、だと思います。 10年ほど前、本学のある用務員さんが学生のボタンを直してあげているのを見ました。 私は大変うれしく、8人の用務員さんすべてに贈り物を渡し感謝の気持ちを表しました。 用務員さんが一丸となって愛を注ぐ姿に、ひそかに喜びを感じたものです。
 昭和37年に高等学校新設をし、初代校長に古川氏を迎え10年間、頑張っていただきました。 亡くなる前に電話があり、危篤と聞き駆けつけました。「あと高校をよろしく頼む」が最後の言葉でした。 高校新設の年、学園は青年会議所の井元啓太氏の意見を聞き、従来の理事・監事の総入れ替えを行い、 名古屋財界第一線のそうそうたる人達を迎え入れました。 高等学校の第1回目の入学式には、新しい理事全員が出席し、540名の生徒を迎え盛況だったことが思い出されます。
高木菊子刀自
 60歳の時、藍綬褒章を受章し、70歳の時、勲四等を受章しました。 教育事業に携わる本来の使命は、本学園が「いい学校だな」と思われることにあると言えます。 学生・生徒の質がどうとかいう問題ではありません。そしてその鍵を握っているのは、母の言いたかった「愛」です。 家内と結婚したのは、姉が嫁いだ1年後の戦争中でした。妻とは60年余を一緒に過ごしたことになります。 米寿まで2人で健康でがんばろうと誓い合いました。 幼稚園の行事に出席したときには「菊武学園の園児たちはお母さんを大事にして下さい」などあいさつをしています。

 荻田嘉寿枝という和文タイピストの先生がみえました。20年以上勤められたベテランの先生です。 その方が亡くなられる前の危篤の時にも駆けつけました。他にも学園に関わり亡くなられたなれた方々がいます。 こうした方々の法要を10年ごとに、徳川家の菩提寺である東区の建中寺で行っています。

 本学園は現在2代目です。3代目もいます。他の学園は3代目から4代目で初代はいません。 現在でも実際の創設者は、お袋だと思っています。昭和18年に亡くなって以来、 名古屋市・八事霊園へ毎月お参りをしています。これは私の義務だと思っています。 この母を顕彰するものとして、菊武学園では卒業式に優秀な学生・生徒に菊子賞を授与しています。 本当は全員に手渡したいという気持ちで一杯です。健康に日々注意し、 現役のオーナーとしてお袋の意思を受け継ぎ、この学園が盛り上がり良くなるよう、頑張っていきたいと思っています。